ブレトンウッズ協定と米ドルの基軸通貨化
1944年のブレトンウッズ協定は、第二次世界大戦後の国際通貨体制を確立する上で極めて重要な役割を果たしました。この協定により、米ドルが世界の基軸通貨としての地位を確立しました。以下に、ブレトンウッズ協定と米ドルの基軸通貨化について詳細に解説します。
ブレトンウッズ協定の背景
1944年7月1日から22日まで、アメリカのニューハンプシャー州ブレトンウッズで開催された連合国通貨金融会議において、44カ国の代表が集まり、戦後の国際通貨体制について議論しました。この会議の目的は、以下の2点でした。
- 第一次世界大戦後の経済混乱の再発を防ぐこと
- 戦後の世界経済の安定と発展を図ること
ブレトンウッズ協定の主要点
- 固定為替相場制の導入
- 各国通貨と米ドルの交換比率(為替レート)を一定に保つ制度を確立しました
- 金ドル本位制の採用
- 米ドルと金の交換比率を1オンス=35ドルに固定しました。
- 国際機関の設立
- 国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(世界銀行)の設立を決定しました。
米ドルの基軸通貨化
ブレトンウッズ協定により、米ドルは以下の理由で基軸通貨としての地位を確立しました。
- 金との交換性
- 米ドルのみが金と交換可能な通貨として定められました。
- 固定為替相場制
- 他国の通貨は米ドルに対して固定レートを維持することが求められました。
- アメリカの経済力
- 第二次世界大戦後、アメリカは世界最大の経済大国となり、大量の金を保有していました。
- 国際取引の決済通貨
- 米ドルが国際取引の主要な決済通貨として使用されるようになりました。
ブレトンウッズ体制の影響
- 世界経済の安定
- 固定為替相場制により、為替レートの急激な変動が抑制され、国際貿易が促進されました。
- アメリカの経済的優位
- 米ドルの基軸通貨化により、アメリカは「法外な特権」を得ることとなりました。
- IMFと世界銀行の役割
- これらの国際機関が、世界経済の安定と発展に重要な役割を果たすようになりました。
- 日本経済への影響
- 日本円は1ドル=360円に固定され、これが日本の輸出主導型経済成長の基盤となりました。
ブレトンウッズ体制の終焉
1971年、アメリカの国際収支悪化により、ニクソン大統領がドルと金の交換停止を宣言し(ニクソンショック)、ブレトンウッズ体制は事実上崩壊しました。1973年には主要国が変動相場制に移行しましたが、米ドルの基軸通貨としての地位は現在も続いています。
ブレトンウッズ協定は、戦後の世界経済秩序を形作る上で極めて重要な役割を果たし、米ドルを中心とした国際通貨体制を確立しました。この体制は約30年間続き、世界経済の安定と発展に大きく貢献しました。