ニクソン・ショックと金本位制の終焉
ニクソン・ショックと金本位制の終焉について、解説します。
ニクソン・ショックの背景
1944年のブレトン・ウッズ協定により、第二次世界大戦後の国際通貨体制が確立されました。この体制下では以下の取り決めがありました。
- 米ドルが金と交換可能な唯一の通貨として定められました。
- 他国通貨は米ドルに対して固定相場を維持することが求められました。
- 金1オンス = 35ドルという交換比率が設定されました。
しかし、1960年代後半から1970年代初頭にかけて、この体制に綻びが生じ始めました。その主な要因は以下の4点です。
- ベトナム戦争による米国の財政赤字拡大
- インフレーションの進行
- 米国の国際収支の悪化
- ドル危機の深刻化
ニクソン・ショックの内容
1971年8月15日、ニクソン大統領は新経済政策を発表し、以下の措置を講じました。
- ドルと金の交換停止
- 10%の輸入課徴金の賦課
- 90日間の賃金・物価の凍結
これらの措置は、ブレトン・ウッズ体制の根幹を揺るがすものでした。
金本位制の終焉
ニクソン・ショックは事実上、金本位制の終焉を意味しました。
- ドルと金の交換停止により、通貨の価値が金に裏付けられなくなりました。
- 各国は変動相場制に移行し始め、固定相場制が崩壊しました。
- 1973年までに主要国の通貨は変動相場制に移行しました。
その後の展開
- 1971年12月のスミソニアン協定で、一時的に固定相場制の維持が試みられましたが、長続きしませんでした。
- 1973年には主要国が完全変動相場制に移行しました。
- 1976年1月のIMF暫定委員会(キングストン合意)で、変動相場制と米ドルの金本位制廃止が正式に確認されました。
- 1978年4月のIMF協定改正の発効により、先進国の通貨における金本位制は完全に終焉しました。
影響と意義
ニクソン・ショックの影響とその意義は次の通りです。
- 国際通貨体制が金本位制から管理通貨制度へ移行しました。
- 各国の中央銀行が自国の通貨価値や金融政策をより柔軟に管理できるようになりました。
- 為替相場の変動リスクが増大し、新たな金融商品やリスク管理手法が発展しました。
- 国際金融市場の自由化と国際資本移動の活発化が進みました。
まとめ
ニクソン・ショックは、戦後の国際通貨体制を根本から変革する出来事であり、現代の国際金融システムの基礎を形作ったと言えます。金本位制の終焉は、通貨の価値が国家の信用に基づく現代の通貨システムへの移行を意味し、グローバル経済の新たな時代の幕開けとなりました。